金魚鉢

田舎から上京してきた大学生、旅行と読書が好きです

12/17 歩いた・喪失について(少し)・東京

 寒い夜に散歩していて、体が温かくなっていくのと反比例するように指先が冷えていく感覚は、死ぬ時の感覚に似ているのだろうか。わたしは死んだことがないからわからないけれど。

 

 小さい頃、死んだらそのまま(例えば病人なら横たわっていたベッドごと)天に昇っていくんだと思っていたし、愛し合う男性と女性が一緒に暮らしていたら自然と愛すべき子供ができると思っていた(子供のうちの何%かは同じような認識をしていると思うが)。その頃のわたしは美しいこどもだった。容姿ではなく、精神が、だ。今はどうだろう。わたしは、醜いだろうか?

 

 美しい文章、青く澄んでいて、冷たく、鋭利で、触れたら溶けてしまうような文章を書きたいと思っているのだが、難しい。わたしは昔から自分の輪郭や感情の記憶などが曖昧で、数秒前の自分と今の自分に連続性を認めるのがなんとなく難しいというか、しかし実際に本当にそうなのかももはやわからぬほどにぼんやりとしていて、もしかしたら病名がついてしまうかもしれないなあと思いながらも、いや大丈夫な気もする、この不安も私の勘違いかもしれない、などと揺れながらふわふわ生きている。それでも受験をして合格という目標を掲げて長期間勉強に打ち込んだおかげか(第一志望には落ちたが!)、はたまた上京してきたおかげか、最近はなんとなく自分の軸が確固たるものとしてある時間が長いような気がするし、前述の不安についても考えることがほとんどなくなった。単に考える時間がないからかもしれない。だが最近は強迫観念というか、家を出る前や家事をする時などに自分の気になってしまったことを解消するために何度もほとんど無意味な行為を行なってしまったりする(なんだか文字にすると、やばい気がする!)。まだ大丈夫だが、本当に酷くなってしまったら病院に行くべきだろう、おそらく。

 

 日記のようなものをつらつら書こうと思っていたのに、余計なことをだらだら書いてしまった。今日はお台場に行って夜景を見ながらぶらぶら散歩した。一緒に行った友人のことを細々書くのはなんとなく相手に申し訳ないしわたしもなんとなく嫌なので、ひとりではなかった、とだけ記しておく。(ひとりでまた行くのもいいかもしれないが!そうしようかなあ)光輝くビル街を見て、わたしは都会に来たのだ、と強く思った。それは田舎からの解放であって、きっと同時にやわらかな絶望でもあった。サークルの同期がインターンに行ったり留学の計画を立てたりしていて焦る。わたしはこの1年何をしていただろうか。都会で生きていくことは本当に、競争だ。わたしはまだ暗闇に浮かぶ白い光たちを見て美しいと思うことをやめられない。地元での日々、満点の星空や風に靡く稲穂たちはいわば私の子供時代の象徴で、わたしはまだ都会にやってきた田舎者の気持ちで、つまり子供の頃の甘さを捨てられていない。地元にいた頃よく聴いていた「東京流星群」を思い出す。すごく好きな歌だが最近聴いていない。わたしが知る東京では、この頭上の濁った空では、流星群など見えない。わたしはあといくつ、わたしを構成していたものたちを失うのだろうか。大人になって好みが変わったとか、そういう気分で今一時的に失っているだけだとか言えば、それまでなのだけれど。

 あとは今日初めてゆりかもめに乗った!とても良かった。地下鉄に慣れてしまったので、数両編成で空中を走るのはワクワクした。窓の外に広い青空が広がっていて、こんなことは東京に来てからほとんど初めてで、なんだか息がしやすかった。例えばわたしが泣いたときに涙が今日の青空の色だったら、わたしはわたしをもう少し愛せるかもしれない。

 

 本を読むことが好きで、フィクションの世界が好きで、美しいものが好きで、だから映画もアイドルも好きだし、音楽も好きだ。それらについてもおいおい書けたらと思う。もしこれを読んでくださった方の中でおすすめの本や映画やアイドルや曲やバンドがあればぜひコメントなどで教えてください。

 

 なんだかぐちゃぐちゃした内容でしたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。風邪に気をつけてね