金魚鉢

田舎から上京してきた大学生、旅行と読書が好きです

12/15 日記

 今日大学を歩いていて、イチョウが散りかけていて、ああ黄色いなあと思って写真を撮った。自分の普段いるキャンパスだけでなく、今日は珍しく本キャンにも行ったのだが、私の背丈の何倍もあるイチョウが永遠に並んでいて、その真ん中を私が通って、地面は落ち葉で真っ黄色に染まっていて、私が本キャン生だったら卒業した後でこの景色を大学生活の象徴として何度も思い出すんだろうなあと思った。美しいものというと、私はハリーポッターの映画を想起するのだが、まあ秋の大学、赤や黄色に色づいた落ち葉が目の前をゆっくり落ちていくその数秒は、ホグワーツ城の美しさといい勝負かもしれない。美しいものを見た時、それを美しいまま自分の言葉で表現するのは難しいことで、ご覧の通り私は失敗したわけである。イチョウの美しさを言語化できる人はいるのだろうか?

 

 私はブログというものをほとんど読んだことがない。中学か高校の時に好きなアイドルのオタクの、異常に芸術的センスに溢れたお姉さんが書いていた記事を読んだのと、この前青松輝さんのブログを少し読んだくらいだ。お姉さんのブログは今でもぼんやりと覚えていて、けれどこの前Twitterアカウントを探したら見つからなかったので、もう二度と見ることは叶わないかもしれない。インターネットって儚い。私は極彩色の文章も書けなければ澄んだ青のような文章も書けず、おそらくこれを誰かが読んでくださったとしてもその人の生活に何かを(烏滸がましくも)与えることは全くできないと思う。自分で読んでもつまらないし。ただ、自分の大学生活をなんらかの形で残しておきたいから、これは単なる記録であり、備忘録である。今後文章力が向上するかも、という希望だけ持っておくが、それよりも飽きてアカウントを消してしまう可能性の方が高いかもしれない。

 

 大学にモチベーションを保ちながらウキウキ通うことは難しい。まず大学に行くまでに、電車は混むし、人は多いし、みんなが急いでいる。東京に来てから強く思う。しかし私は高校がしんどかったし、地元を毛嫌いしていたから、もう東京に出て一人戦うしかないのだ。私は(自分で言うのも何だが)かなり真面目だから、田舎から私を送り出してくれた親に申し訳ないから、高校よりは多分マシだから、ギリギリ休まずに行っているけれど。それでもやっぱり東京はしんどい。

 

 アイドルが好きだ。ウォニョンちゃんとか、作間龍斗くんとか、矢花黎くんとか、シュファさんとか。見た目が美しいというのは、なんだか不思議なことだ。私たちはどうして見た目が美しいことにこだわるのだろう。まあ見た目が美しいことで生きやすい世の中では、少しだけあるかもしれないけれど。別に見た目が美しいから病気になりにくいとか、必ず長生きするとか、そういう生物として根本的な作りは違わないのに、私たちは美しい人間を選ぶ。けれど、先述のように見た目が美しいことは(裏目に出る場合もあるが、ある程度ならば)生きやすいことにつながる気がする。これは完全に私の考えだが。私は高校生の頃、部室で一人自主練をしていたら隣の部室から自分の名前と不細工だと断定する声が聞こえてきたこととか、卒アルの写真が醜すぎて撮影の夜に泣いたこととか、そういう思いを何回かしていた。努力しなかった自分も悪いかもしれないけれど。大学生になって、メイクを覚えて、少し痩せて、髪を染めて、今もまだまだだけれどあの頃よりかなり息がしやすい。いつか完璧な女の子になりたい気持ちもあるけど、まあひとまずは今のまま、少し醜いくらいでもいいかもしれないと思う。

 

 自分の薄暗い性格は嫌いだけど結構気に入ってもいて、私はそういう思いをしたことがない他の女の子や男の子よりも1つ多く感情を知っていて、だからきっとみんなより1人多くのひとに寄り添えると思うから。大きく傷つけられたことはないけれど、こういうことされて少しだけ嫌とか、でもそれを言い出せなくて笑って誤魔化す時の頬の痛みとか、私はそういうものを知っていて、だから私のようなひとにそういう思いをさせないように振る舞えるのだ。

 

 今、さっき温めて忘れていたミルクティーを飲もうとしたらすごく不味かった。明日はクロワッサンが食べたい。